ライブハウスのチケットノルマ問題

前回からだいぶ間が空いてしまったが、今回は最近ツイッター上で再度火のついた「ライブハウスのチケットノルマ」についての話でもしてみようかと思う。

ライブハウス側の言い分

時にライブハウス最大の悪業として非難の的になるチケットノルマだが、そもそもなぜ出演者が集客ノルマを課せられるという制度が生まれ、それが定着していったのだろうか?

古い記事だが、フリーペーパー「音楽主義」の8号に載せられた平野悠氏(LOFT PROJECT代表)へのインタビューから抜粋。

―現在(このインタビュー記事が掲載されたのは2007年)ライブハウス文化は隆盛と言われてますが、場所を提供してお金を得ている単に”貸し小屋”になってるんじゃないかという見方もありますね。

平野:それはすごく難しい問題で、僕らライブハウス側にもミュージシャン側にも責任がある。ライブハウスでやってきた連中が、売れたら出なくなる。プロダクションやレコード会社が”あんなところに出たらイメージダウンになる”と言い出す。それに対してライブハウスがどう防御したかというとノルマです。アマチュアミュージシャンから全部ノルマかけて、チケット30枚売ってこなきゃ出さないという話になっていくんです。そうすると金持ちしか出られない。全部のライブハウスがそうだとは思いませんよ。でも、そういう状況で果たしてライブハウスは”文化”なのかどうか。カラオケの延長線でしかない。ライブハウスというのは、本当は街の風景のひとつなんですよ。(以下略)

かいつまんで言うと、こういう事だろう。
まだ無名で売れてなかった時代から世話を焼いていたミュージシャンが、売れるとライブハウスには出なくなる。つまり客を呼べないミュージシャンしかライブハウスに出てくれないので、ライブハウスは全く儲からない。だからチケットノルマをかけるようになった。

これがライブハウス側の言い分ということになる。

ライブハウスの陥る負のスパイラル

そしてこの理屈の中に、そのままライブハウスが持つ致命的な欠点が隠されている。
つまるところ、ライブハウスは儲けを出さなくてはやっていけないということだ。商売である以上当然のことで、ライブハウスの人間とて霞を食って生きていけるわけではない。

「我々は文化を発信するのが仕事なのだから、儲けなど二の次で構わない」というスタンスでやっている人間も少なからず存在するが、人件費や機材維持費などが賄えるだけの最低限の儲けはどうしても必要になってくる。食っていくためには仕事をしなくてはならないし、仕事をした人間に給料を払うためには売り上げがなくてはいけない。

この点と、前回の記事で触れたライブハウスが増えすぎたという問題を照らし合わせると、現在多くのライブハウスが陥っている負のスパイラルが明確になってくる。

ライブハウスが増えたことにより、客を呼べる(儲けの出せる)ミュージシャンとライブハウスの比率が崩れてしまった。だが、ライブハウスは儲けが出ようが出まいが営業しないことには仕事にならないので、とにかく営業する。結果的に質の低い興行が増えてお客さんが減る。これが今のライブハウス業界の現状だ。

こういった状況で潰れていく場所も当然あるが、それでも多くのライブハウスがギリギリのラインで持ち堪えられているのは間違いなくチケットノルマ制のおかげだと思うし、それを「悪」とする意見に100%説得力のあるの反論はできない。

実際ライブハウスで働いている人間でも、積極的にノルマをかけるべきという人より、そうせざるを得ないからノルマをかけているという考え方の人の方が多い気がする。(これは私が自分で見てきた人、話をしてきた人を元に判断しているので、全体像としては確信はない)

ミュージシャン側のメリットは?

チケットノルマ制を受け入れて活動するミュージシャンがそれなりにいなければ、ライブハウスの数はとっくの昔に減少しているはずである。つまり「ノルマを払ってでもライブハウスに出演する価値がある」と考えている人が多少なりともいるということだ。

ミュージシャンの側からすると、どんなメリットがあってライブハウスを利用しているのだろうか。ざっと考えられる点として以下のようなところか。

大音量が出せる

一番大きな点は、やはり音量だろう。特にロックバンドは大音量が出せなくては面白くないし、大音量を出しても大丈夫な環境というのは探してもなかなか無い。公共の場でロックのライブなどは、昔と違って殆ど不可能な状況になってきている。

「きちんとしたステージの上で、大きな音を出して演奏するのが気持ち良いから」という理由だけでライブハウスに出演しているバンドマンも中にはいるようだ。そういう出演者にとってノルマとはつまりホールレンタル料であって、はじめから集客のリスクを負うという感覚ではないのだろう。

機材が揃っている

機材が揃っているという点も大きい。マイクや楽器くらいは自前の物を持てても、アンプやドラムセットといった大物は所有するのが大変だし、持っていてもライブの度にそれをどこかへ運び出すというのは結構な大仕事だ。始めから機材が揃っている場所でライブができるというのは、労力の面でかなりプラスなのは確かだろう。

スタッフが揃っている

スタッフが揃っていることの重要性は、音楽性やライブの規模により変化するだろう。確かに専門の音響、照明オペレーターがいるに越したことはないが、例えばアンプラグドライブにおいてのPAの必要性はさほど高くない。むしろその相手がどんな人間かという部分が重要な点だろう。

例えばキャパシティ、機材、ノルマ、家からの距離などが全く同じライブハウスが2件あったとしたら、選ぶ条件はスタッフの能力、人柄が決め手となる。逆に言えば「あそこのハコは音は悪いけど○○さんがいるから出る」という場合もあるし、そのような例は少なくないようだ。

対バンで面白いミュージシャンと出会えることがある

対バンでの出会いに期待する面については、大きく意見が別れるかもしれない。対バンのライブは全く観ないし、打ち上げにも参加しないというミュージシャンも増えている。
一方でミュージシャンには不器用な人間が多いのも事実で、「元々友達もあまりいない。だから歌を唄うようになった。そうしてライブハウスに出演している内に友達が増えた。でもプライベートでは相変わらず友達ができなくていつも浮いている。ライブをしている時が一番楽しい」というタイプの人間はいつの時代もいるようだ。

業界人にライブを観てもらえる可能性がある

可能性として挙げてみたが、そこにメリットを見い出しているミュージシャンがどれくらいいるものか…

ライブハウスの存在意義

ここまでライブハウスとミュージシャンそれぞれの視点に立ったつもりで書いてきたが、ここで1つ興味深い記事を紹介したい。

バンドマンが変わればライブハウス業界が変わる | 旧・海保けんたろーのブログ
(※追記:現在は削除されています)

この記事は非常に合理的な視点に基づいて書かれているので一読の価値はある。もし全てのミュージシャンがここで言われているように意識改革したら、確実にこの業界は変わるだろう。

だが先に書いたように、この世界には不器用な人間が多いのも事実。むしろ非合理が大好きな人間が多いと言った方が正しいかもしれない。それはミュージシャンに限らず、ライブハウスの人間もそうだ。「面白そうだから」という理由で赤字覚悟の企画があちこちで立てられている。そういう世界なのだ。

きっと現在のライブハウスの存在意義とは音楽文化を発信することではなく、非合理的にしか生きられない人間の受け皿としての部分が大きいのではないだろうか。そういうことを言うと反感を買うかもしれないが、自分自身を振り返ってみてそういう部分が無いとは言い切れないのも事実なのだ。

音楽ビジネス自体が大きな地盤沈下を起こしている昨今、ライブハウスもその影響を避けることは避けられないが、ある特定の人々のための「居場所」という存在意義があるのなら、ライブハウスは今後も無くなることは決してないだろうと思う。

なんだかチケットノルマの話から脱線してしまったが、要するにこの問題を理屈で解決するのは不可能なのだ。私もここで何らかの解決策を出せるとは思っていない。ただライブハウスの人間として一言言わせてもらうなら、ノルマにしろギャラにしろ、どうにかしようと思えばどうにでもなるものなのである。あとは自分で考えよう。