しょぼい音 その2

普段、音楽は専らパソコンで聴いている。
ピグの音楽フロアで聴くにしても、CDを再生するにしても。

いつもはヘッドホンを通して聴くのだが、ちょっと運動をしようと思った時に、久しぶりにヘッドホンを外してパソコンのスピーカーから流れる音で音楽を聴いた。素材はメタリカの『METALLICA』。メタリカなのに低音が全然響いてこない。それでも『ENTER SANDMAN』はカッコいいなと思ったけど、メタリカは、こんな音で聴取されて「カッコいい」と評されることを嬉しくは思わないだろう。

削ぎ落とされる音

こういう極端な例ではなくとも、普段我々は殆どの場合、音楽家の意図を無視して音楽を聴いている。言わずもがな、それは録音媒体と再生環境の問題だ。

自分は学生時代に音楽の勉強をしていた。スタジオに入ってレコーディングの実習をしたこともある。その時に感じたのは、実際に演奏して録音している最中に聴く音と、録音された完成品の音はこうも違うのかということだった。

まず演奏を録音物に落とし込む段階で、本来の音から削ぎ落とされてしまう要素は必ず存在する。近年はハイレゾや高音質の録音形式のおかげでより元の音に近い状態で音楽を聴けるようになったが、恐らく100%の音をパッケージングする技術はまだない。

以前、ピアノの生演奏をその場でハイレゾ録音して、すぐに流して聴き比べるという試みの企画に行ったことがある。もし最初から目を閉じて聴いていて、「どちらが生でどちらがハイレゾか?」と問われたら恐らく判らなかったであろうクオリティではあったが、少なくとも両者に違いがあることは判った。

とにかく、そうやって削ぎ落とされた音を、再生環境によってさらにフィルタリングした状態で我々は音楽を聴いている。そういう前提に立てば、低音の全く響かないメタリカを聴いて評価するということも、望ましくはないけれども仕方のないことではあるかもしれない。

音のリサイクル

ただ、こういう、必要以上に抑え込まれて作曲者や演奏者が意図したものとは乖離しまくった音というのも、素材としてはそれなりに価値があったりする。ノイズや現代音楽、それにDJのリミックスなどの世界がそれだ。本来捨てられるはずの音や、不完全な音(聴取されるべきと想定した音質やテンポから逸脱した状態)も、料理次第で美味しくいただけるものに化けるのがこの世界の面白さだ。
ここでは一般的に言われる「良い音」と「しょぼい音」は等価というか、境界線が存在しない。

坂本龍一が近年は現代音楽的な方向にシフトしているという記事を読んだ。

聴き手オンリーの自分が、時々リズムや調性のある音楽に疲れることがあるのだから、何十年もそういう音楽を作ってきた人がそこから逸脱したい(そういう意識ではないのかもしれないが)と考えるのもおかしな話ではないと思う。

※上記記事で言及されているノトとの共作がフルでアップされていた。