【この曲を聴け!】航 -「Do-chu」

ついに来たか、という気持ちである。ついにというのはリリースを心待ちにしていたという意味ではなく、とうとう彼女の魅力をCDという形でパッケージ化することに成功したんだなと、聴き手としてそう思える作品が生まれたんだなという感慨である。

タイトルは「Do-Chu」…。「道中」であろうか。明確なゴールというか答えを設定せず、ただそこに在る世界を描く詞の世界観は、彼女が常に道の途上にある「道中の人」という風に己の立ち位置を見据えていると感じさせる。

そう、航は道中の人という呼び方が最もしっくりくる人だ。彼女の歌は素晴らしい世界を目指すわけでも、今を謳歌するわけでもない。美しいものに感動したり、愛しい恋人への想いを切々と綴るわけでもない。では平々凡々たる日常を歌っているのかといえば、それも違う。

どこかへ向かっている、あるいはどこかを見ているのは確かだが、それが何処なのかは明確にされていない。描き出されているのは特定の目的地へと向かう道ではなく、ただ道そのものだ。

こういった要素を列記していくと、音像としてはなんとなく現代音楽的なものを想像したくなるかもしれない。あるいは女性ボーカルによるピアノの弾き語り(+ゲストミュージシャン少々)という編成からは、なんとなくしっとりとした優しい音を想像する人もいるだろうし、逆に凛として冷たく突き放すようなものを想像する人もあろう(この点に関してはライナーノーツを書いている沼田氏と意見が全く一致する)。

実際のところ、航の作り出す音楽からはそのどちらでもあるような、どちらでもないような不安定さを嗅ぎ取れる。中性的とまでは云わないが、女臭さをあまり感じさせないアルトの歌声は柔らかで心地が良いが、その背後で鳴っている音は拍子も調もころころ変わり、中には即興演奏がぶつかり合うような曲もあって、どこか不安感を煽る。どこか不安感を煽るのだけど、一方で気持ちを浮き立たせるような、軽やかに弾む音も鳴っている。

安心と不安、女性性と男性性、繊細であり大胆、嬉しいけど悲しい、優しくて恐ろしい…このアルバムには実にアンビバレントな要素が詰め込まれている。それが不安定な印象を生んでいるのだが、そもそも対象物がどう見えるかというのは主観と客観で大きく異なるものだし、どちらが正しいと決めつけられるものでもない。航は右に寄るでも左に寄るでもなく、ただ俯瞰の視点で事象を捉え、歌にしようとしているのではないだろうか。

道中の人・航が差し出した、正統と異端が交錯する処からの手紙。
貴方の目にはどう映るだろうか。

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